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三ツ宗宏 (真庭市教育委員会教育長)

遊びと学びの場づくり。「Vivaまにわ」で伝えたい想い

WEBサイト「あそびとまなびの場づくり応援サイト Vivaまにわ」。学びよりも先に「遊び」を据えているのが特徴的だと思います。真庭市が「遊び」に重きを置いている理由は何ですか?
子どもはみんな、「自分で育つチカラ」を持っています。
たとえば、階段から飛び降りて遊ぶ子どもがいます。はじめは低いところから、少しずつ上の段に挑戦していく。うまく飛び降りることができたら、うれしさを隠しきれない満面の笑み。自分が「やりたい!」と思って、チャレンジしてみて、「楽しい!」と思う。遊びはそういう「自分で育つチカラ」を引き出してくれる、成長に欠かせない大切なものです。
遊びと学びを並べていますが、「遊びは、学び」とも言えます。
階段から飛び降りて遊ぶことも、じつは遊びのなかで身体のうごかし方を学んでいます。そのほか、遊びを通じて動植物に「興味」が芽生えたり、絵を描くことに「関心」を抱いたり。学びの根っこには「やってみたい!」「もっと知りたい!」という興味と関心があって、遊びはその興味と関心の根っこを太らせるものだと考えています。

いま、子どもたちの幸福度がとても低い。自己肯定感も低い。そんなふうに言われています。理由をひも解いていけば、「いまを幸せに生きている!」という根本が感じられていないんじゃないか、と思います。遊びは、いまを幸せに生きるために必要な営みです。「やってみたい!」と思ったことができる。自分で決められる。こころ安らぐ余白も楽しむことができる。そんな「遊び」が子どもたちの学びにも幸福度にも関わっているのです。
「遊び」は子どもの成長にも、幸福度や自己肯定感にも欠かせないものなんですね。ただ、いまは「思いきり遊ぶこと」が難しくなってきているように感じます。その点はいかがでしょうか?
たしかに禁止やルールで縛るケースが増えているように思います。子どもを危険にさらしてはいけない。安心・安全でなければならない。とてもわかります。ただ、あまりにもその意識が強くなり過ぎると、「あれしちゃ、ダメ」「これしちゃ、ダメ」と禁止して、子どもの「やりたい」を奪ったり、工夫する余地や考えるチカラまでも奪ってしまうことになります。

転ばぬ先の杖を大人が用意するあまり、子どもから「失敗する権利」を奪ってしまう。失敗とチャレンジは表裏一体です。失敗から子どもは多くのことを学びます。安心・安全でなければならない、という禁止やルールなどの「拘束」が、子どもの「自分で育つチカラ」を押さえつけてしまっているんじゃないか。それが「遊ぶこと」を難しくしているように感じます。

……ただその一方で、大人もツラいと思うんです。
「まわりに迷惑をかけちゃいけない」「子どもに何かあったらと思うと心配でたまらない」「できれば失敗してほしくない」。大人が子どもの幸せを願っているからこそ、禁止やルールを強いてしまう……。大人も、まわりの目や気をつかうことにしんどさを感じていると思います。
では、大人はどうすれば子どもたちの「遊ぶ機会」を奪わないようにできるのでしょうか?
大人はもっと肩の荷をおろしていいと思います。自然体でいいんです。
そして何より大切なのは、「大人も一緒に楽しむ」ことです。いま真庭市では「遊ぶ機会をつくり続ける運動」を進めています。子どもだけじゃなく、大人も一緒に楽しんでもらえたら、と願っています。子どもの遊ぶ姿を見て、自分のむかしを思い出しながら「ああ、いいな」と思ったり、ときには一緒になって遊んだり。「いいな」「楽しかったな」の積み上げが、大人側のしんどさをほぐして、子どもたちを見守る「寛容さ」につながると考えています。

子どもと「一緒の時間・空間」を共有することで、「子どもなんだから、大きな声を出してあたりまえかも」「町中だって走りまわってあたりまえかも」と子どもの本質がわかる。そうすれば、禁止やルールで縛るだけじゃなく、「どんなふうに子どもを見守ればいいのか」「どう子どもをサポートすればいいのか」と寛容に考えられるのではないか、と思います。
先ほどのお話にあった、真庭市が進める「遊ぶ機会をつくり続ける運動」というのは、具体的にはどのような運動なのでしょうか?
ちょうどいま真庭市では、遊ぶ機会をつくる動きが生まれ、広がっています。
たとえば、土曜日に学校などを開放して、地域のひとたちが先生となり一緒に遊んだり、学童の子どもたちがときに施設を飛び出して外で遊べたり……。ぼーっと空を眺めるだけの「遊び」ができる場所も、子どもにとっては大切な居場所になります。大人たちが対話を重ねながら、顔の見える関係性を築き、子どもへの「寛容さ」を共有して、思いきり遊べる機会づくりを進めています。

七輪や焚き火を用意すれば、子どもたちは自然と「遊び」をつくります。広場があればかけっこがはじまり、縄があれば大縄とびがはじまります。場所ときっかけを提供すれば、あとは子どもたちが自由な想像力で遊びはじめるのです。今後必要なのは、そんな「遊ぶ機会づくり」のための伴走支援です。とくに「ナナメ後ろ」からの伴走支援。自分も楽しみながらみんなと一緒に進めていく、という意味を込めて、私たちは「ナナメ後ろ」からの伴走支援と呼んでいます。

言いかえれば、地域ぐるみで子どもの育ちを応援する。
そんな大人が増えていくことを願っています。子どもは大人のことをよく見ています。そして楽しんでいる大人の姿は子どもたちの憧れになります。地域で楽しんでいる大人たちを見て、子どもたちが「この地域っていいな」と思ってくれたら、「郷土愛」を育むことにもなります。じつは「子どもと一緒に楽しむ」が地域の持続性にもつながっているのです。
地域の持続性でいえば、真庭市は「郷育」をテーマに掲げていますよね?
真庭には、豊かな自然があります。
それだけではなく、広さを生かした地域ごとの資源もあります。その資源ひとつひとつが「遊び」のきっかけになります。ひとの暮らし、自然環境、文化や産業など……。地域のなかで興味や関心を太らせていく体感できる「遊び」がたくさんあるのです。それを用いて「じゃあ、ここでどんなことができるだろう」「こうすればもっと面白くなるかも」地域のひとたちと一緒に考えていく。私たちは「郷育」をそんなふうに考えています。

市内小中学校がコミュニティ・スクールになり、地域学校協働活動がすすめられていることも「郷育」のひとつです。学校では、地域のヒト・モノ・コトを体感する学びを大切にしています。その中で問いを生み、対話して考え、協働する学びを進めています。地域にある問題はすぐに答えが見つかるようなものではありません。だからこそ、子どもも大人も一緒になって考える、正解じゃないかもしれないけれど最適解を探る、そして「一緒にやる」をつくり出す。

その過程で育まれる「考える・対話する・協働する力」は、答えがないと言われる時代を主体的に生きていく上で大切なチカラです。それは自分たちのことを自分たちで決め、自分たちで治める自治の取り組みにほかなりません。学校運営協議会で子どもの意見を取り入れながら、地域の未来を議論する。地域学校協働活動として「子どもの学びを支える」「一緒にやる」を形にする。そんな姿が各地域の特長を生かして広がることを願っています。

そして市内には「郷育魅力化コーディネーター」がいます。顔ぶれ豊かなメンバーで、「遊ぶ機会をつくり続ける運動」のナナメ後ろからの伴走支援をはじめ、学校やそのほかの教育機関、地域に入って活動をしています。

※コミュニティ・スクールとは、学校と保護者、地域のひとたちが対話を重ねながら、学校の運営に保護者や地域のひとたちが参画する仕組みのことです。
最後に、WEBサイト「あそびとまなびの場づくり応援サイト Vivaまにわ」の役割や、このWEBサイトを通じてどのようなメッセージを発信したいと考えていらっしゃるのか、教えてください。
「遊び」は、子どもたちの「自分で育つチカラ」「幸福度・自己肯定感」を育む大切なものです。そして真庭の自然豊かで多様な地域資源があれば、子どもたちの「遊び」はより一層、豊かなものになると確信しています。そのために、「大人も一緒に楽しむこと」「地域ぐるみで子どもの育ちを応援すること」この2つがポイントになります。

このWEBサイトでは、そんな「遊ぶ機会をつくり続ける運動」や「地域全体で子どもたちの学びや育ちを支える運動」を考えるきっかけになれば、と願っています。いま、真庭市内でどんな運動が起こり、それはどのようにしてつくられたのか。どんな面白い取り組みがあって、それはどこで行われているのか。

さまざまな「日常」の情報を発信することで、寛容さを持つ大人たちのネットワークが生まれ、対話も生まれ、輪が広がっていく。そのために、このWEBサイトを立ち上げました。掲載されているコンテンツを読んで、「やってみようかな」と思ってもらえたら、とても嬉しく思います。また、そんな方々とつながってサポートできるよう進めています。ぜひ「あそびとまなびの場づくり応援サイト Vivaまにわ」をご活用ください。
聞き手:甲田智之